黒部市生地: 新治神社

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概要・歴史・観光・見所
新治神社(黒部市生地)概要: 新治神社の創建は天智天皇の御代(662〜671年)に勧請されたのが始まりと伝えられています。格式が高く延喜元年(901)に編纂された日本三代実録によると元慶7年(883)従五位下に列した事が記載され、天武天皇の皇子や行基菩薩(奈良時代の高僧)、大伴家持(越中国守)、和気豊永(越中国守)、春日雄継(越中国守)などが参拝に訪れています。

当時は越之湖(往時は周囲10キロ、深さ6m程でしたが、度重なる洪水の土砂が堆積し、その後開発により埋め立てられた為に消失)湖畔にある新治村に鎮座していましたが文治元年(1185)大津波により新治村全体が海中に沈んだと言われています。諸説ありますが文治地震は近畿地方を震源とする大地震で正式な記録や文献等には被害が京都周辺に限定的な為、本来どのくらいの規模で被害の広がりなどは不明とされます。新治神社に伝わる絵図では震災前(文治2年:1186年頃)と復興後(弘長2年:1262年頃)の両方が伝わり地震の被害の大きさを物語っています。新治村が「生地村」となったのは津波のあと。「人々が生まれた土地に帰る」とともに、「新しい土地が生まれた」という意味を込めて改称されました。旧村名「新治」は神社の名前としました。 その後、新治村の人達が移り住み「新しい地として生まれ変わった」という意味から生地村が生まれ、新治神社はその産土神として現在地に遷座しています(今でも漁に出て網が海底に引っかかると、新治神社の鳥居が掛かったと言う漁師がいるそうですが定かではありません)。

室町幕府10代将軍足利義植が崇敬し明応元年(1492)には戦勝祈願を行い、永正5年(1554)には社領200石を寄進しています。天文23年(1554)、上杉謙信(越後国守護、春日山城の城主)の越中侵攻の兵火により多くの社殿、社宝、記録などが焼失し一時衰微しましたがその後再興されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て郷社に列しています。

現在の新治神社本殿は嘉永2年(1849)の火災で焼失後、慶応2年(1866)に再建したもので、拝殿は明治38年(1905)に再建されています。例祭である「たいまつ祭り」は毎年10月26、27日に行われる神事で境内には400本の松明が掲げられ、それらを蹴りあげて厄年の男たちが御輿をかつぎ社殿まで運びます。その由来は享徳3年(1454)に境内から大きな火柱が上がり、遭難しかけた漁船を導いたことが由来となり「たいまつ祭り」が行われるようになったと伝えられています。祭神は譽田別尊、建御名方命、少彦名命。配祀は伊弉諾命、伊弉册命、大加牟豆身命、軻遇突智命、十握劍。

新治神社:写真

新治神社
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