專念寺(黒部市生地)概要: 案内板によると「 鎌倉幕府の重臣、畠山重忠の子重秀は親鸞の直弟子となり、証性房と号した。その子信了が13世紀後半に入善町飯野に専念寺を開基する。その後、黒部川の氾濫により生地浦に移る。第11世正宗は本願寺東西分派運動に参加し、本願寺長男教如上人を本願寺法王にするように主張。これが秀吉の命に反したとして、富山城下において斬首の刑に処られ、子供達は越後へと逃れた。慶長7年(1602)、正宗長男祐正は、東本願寺法王教如上人より御本尊、九字十字名号、親鸞御影等を拝領し、当地に専念寺を再興した。越後に逃れた一族のうち、景重は長岡藩米百俵ゆかりの地、三根山藩(岩室村)を開墾したとされている。」とあります。
越後に逃れた次男は専福寺(新潟県長岡市十日町)、三男は光專寺(新潟県長岡市福道町)、四男は本願寺派託念寺(新潟県長岡市前島町)をそれぞれ開き浄土真宗の布教に尽力しています。專念寺本堂は明治18年(1885)に再建されたもので木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、正面1間向拝付。宗派:浄土真宗東本願寺派。
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