生地台場(黒部市)概要: 生地台場は嘉永2年(1849)、幕府の命で設けられた各諸藩の沿岸の防衛施設の1つです。江戸時代末期、日本の沿岸には度々外国船が出没するようになり、対応に追われた幕府は諸藩に海岸警護の命令を発し、台場建設もその一環とされます。しかし、殆どの藩は財政難に苦しんでいた為、台場建設や海岸警護は大きな負担となりました。
加賀藩では領内に13箇所の台場を設置し、その内富山県内には氷見(富山県氷見市)、伏木(富山県高岡市)、生地(富山県黒部市)、放生津(富山県新湊市)の4箇所に計画を立て、生地台場は嘉永4年(1851)10月に着工し同年11月に完成、安政6年(1859)には加賀藩の藩士、布目大太郎と馬場三郎が大筒打人に任命され、文久元年(1861)には、200m程離れた場所に大筒や砲丸、弾薬などを格納する土蔵が造営、元治元年(1864)には台場の修築が行われています。
生地台場は長さ63m、幅8m、高さ約2.5mでゆるく湾曲した平面で5ヶ所の大砲(モルチール砲)が設置する事が可能で周辺には木杭と竹、縄で囲い正面には表門となる小刀門が設けられました。生地台場は当時の台場の遺構として貴重な存在で、原形をそのまま保存しその上に新たに台場を復元し、昭和40年(1965)に富山県指定史跡に指定されています。
生地台場:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-富山県教育委員会・黒部市教育委員会
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