小矢部市: 埴生護国八幡宮

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埴生護国八幡宮・歴史・観光・見所
埴生護国八幡宮(小矢部市)概要: 埴生護国八幡宮の創建は養老2年(718)、宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。以来、歴代領主、為政者から崇敬され天平時代(729〜749年)には越中国守大伴家持が国家安寧と五穀豊穣を祈願、寿永2年(1183)には木曽義仲が倶利伽羅峠の戦いの戦勝祈願を行っています。伝承によると義仲は当社で祈願した際に3羽の白鳩が出現し、その導きにより勝利を得る事が出来たとされます。室町時代になると将軍足利家から社領1000表が寄進や、歴代領主である蓮沼城主遊佐氏か(参道の石段を寄進)ら庇護され戦国時代には武田信玄や佐々成政、豊臣秀吉とも関係を持っています。江戸時代に入ると加賀藩主前田家の祈願所として社殿の造営、改修は藩費で賄うなど庇護され、慶長5年(1600)には前田利長が関ヶ原の戦いの1つである大聖寺城に侵攻する際に戦勝祈願を行い、見事勝利すると神意に感謝し本殿を寄進しています。現在の本殿はその当時の建物で三間社流造、こけら葺、正面1間向拝付、江戸時代初期の大型本殿建築の遺構として貴重な事から大正13年(1924)に国指定重要文化財に指定されています。慶長16年(1611)には加賀藩2代藩主前田利常が先代利長の病気平癒を祈願し釣殿を寄進、正保3年(1646)には利常夫人天徳院の産後平癒祈願のため拝殿、幣殿が寄進されています。拝殿は入母屋、こけら葺き、平入、正面千鳥破風、桁行5間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は素木板張、江戸時代初期の社殿建築の遺構として貴重な事から大正13年(1924)に国指定重要文化財に指定されています。又、社号の由来は慶長2年(1608)、前田利長が当地方の凶作が続いたのを憂い豊作祈願を行い念願成就したことから国を護った神社として護国八幡宮と称するようになったと伝えられています。古くから神仏習合していましたが、明治時代にの神仏分離令後に仏教色が廃され(僧形八幡像が医王院に遷された)、明治6年(1873に)郷社、明治27年(1894)に県社に列しています。祭神:誉田別天皇。配祀:息長足媛命、田心比賣命、湍津比賣命、市杵島媛命。

埴生護国八幡宮の文化財
 ・ 本殿(三間社流造り、こけら葺)−慶長5年−国指定重要文化財
 ・ 釣殿(両下げ造り、こけら)−慶長16年−国指定重要文化財
 ・ 拝殿(入母屋、5間×3間、こけら葺)−正保3年−国指定重要文化財
 ・ 幣殿(入母屋、3間×3間、こけら葺)−正保3年−国指定重要文化財
 ・ 埴生護国八幡宮文書(木曽、遊佐、佐々、武田、前田等)−富山県指定文化財
 ・ 木造男神像(2体)−鎌倉時代−富山県指定文化財
 ・ 宮巡り(特殊神事)−小矢部市指定無形民俗文化財

埴生護国八幡宮
埴生護国八幡宮
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