倶利伽羅峠(小矢部市)概要: 倶利伽羅峠は越中国と加賀国の国境に位置し、古代の官道で五畿八道の一つに数えられた北陸道がこの峠を通っていたことから中央にも知られる存在でした。養老2年(718)には善無畏三蔵法師(インドの高僧)がこの地を霊地と悟り、自ら倶利伽羅不動尊を彫り込み安置し倶利伽羅不動寺を開山し信仰の対象にもなりました。
寿永2年(1183)、木曽義仲と平家による倶利伽羅峠の戦いでは源氏軍3万(5千とも)と平維盛を中心とする平家軍7万(4万とも)とが倶利伽羅峠で対峙し『源平盛衰記』によると"火牛の計"により平家が大敗北を喫し将兵は四散し平維盛は京都まで退いたとされます。
江戸時代に入ると加賀藩の参勤交代で利用する北陸街道(北国街道)として整備され頂付近には茶屋が設けられ五社権現の石祠や手向神社本殿(当時の長楽寺不動堂)などが藩主前田家から寄進されています。又、祈願所だった倶利伽羅不動寺は本陣的な役割を持ち、参勤交代の際には休息所となっています。
倶利伽羅峠は明治時代以降は主要道から外れた為、旧街道の遺構などが比較的よく残り倶利伽羅峠の戦いの史跡等が多数点在し歴史的な価値が高いところから平成7年(1995)に建設省の歴史国道、平成8年(1996)に富山県小矢部市〜石川県津幡町が「北陸道―倶利伽羅峠越」として歴史の道百選に選定され、石川県側は平成21年(2009)に石川県指定史跡に指定されています。
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