小矢部市: 今石動城

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今石動城
今石動城
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今石動城 今石動城 今石動城 今石動城
今石動城 今石動城 今石動城 今石動城
概要・歴史・観光・見所
今石動城(小矢部市)概要: 今石動城は安土桃山時代の天正13年(1585)、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に従った前田利家が富山城の城主佐々成政攻略の為の戦略的拠点として築かれた城で、末弟である前田秀継が城主として配されました。今石動城はは標高186mの白馬山に築かれ、山頂には東西49m、南北26mの本丸が設けられ尾根に向かい複数の郭が存在する実践的な城郭として縄張りされ、山城としては富山県最大規模とされます。天正13年(1585)には佐々成政に従う神保氏張や佐々平左衛門、前野勝長が攻め込んできて戦場となり、同年に豊臣秀吉も一時滞留し佐々成政に対しています。越中が平定されると前田秀継は居城を木舟城(高岡市福岡町)に移し、今石動城には後詰として子の前田利秀が配されますが、同年発生した天正大地震により木舟城が倒壊して秀継夫妻が圧死します。利秀が後継ぎますが木舟城再建は困難を伴い結果として今石動城を居城として再整備し麓には新たに城下町を建設します。文禄2年(1593)利秀が病死すると後継者がいなく断絶し、遺領は家臣(篠島清了が3千石を与えられ、以後、宝永7年:1710年まで5代に渡り篠島家が当地を管理した。)が治めましたが元和元年(1615)に発令された一国一城令を受け寛永15年(1638)に今石動城は廃城となります(利秀の死後の翌年、文禄3年:1594年に廃城になったとも)。その後は今石動町奉行が置かれ周辺の行政、経済の中心としての地位は変わらず明治維新を迎えています。今石動城の跡地は現在でも一部の遺構が残され歴史的にも重要な事から平成22年(2010)に小矢部市指定史跡に指定されています。
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