岩木城

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岩木城:略データ
・場 所・富山県富山市稲代
・築城年・元亀2〜3年
・築城者・塩屋秋貞
・城 主・塩屋秋貞
・構 造・平城
・文化財・−
・指定日・−
・概 要・岩木城は元亀2〜3年に猿倉城の城主、塩屋秋貞が築いたとされます。塩屋氏は飛騨国大野郡内を本貫地とする国人領主で、日本海と飛騨地方を結ぶ、交通の要衝を抑えていた事から、物資の流通を管理する事で富を得て勢力を拡大しました。特に塩の取引に長けていたとされ、姓の「塩屋」は商人の屋号だった印象を受けます。一方、隣接する吉城郡小島郷塩屋村がある事から塩屋村が出身地かも知れません。

秋貞の代には永禄7年に甲斐武田家の家臣である山県昌景に敗れたものの、その後は越中国方面に版図を広げ、岩木城を築城した前後には舟倉城と猿倉城を築城しています。秋貞は岩木城を拠点として上杉方で城生城に籠る斎藤信利を攻めましたが、上杉勢が救援に駆け付けた為、撤退を余儀なくされました。

天正4年に上杉勢に攻められ落城、これにより秋貞は上杉家に転じたと思われ、同年には領内で産出した弾丸用と思われる鉛を上杉謙信に送ったとされます。さらに、上杉勢の飛騨侵攻の案内役として重きを成し、武田方の江馬氏や三木氏の城の攻略に功績を挙げています。

天正6年に上杉謙信が死去すると、秋貞は越中国に侵攻してきた織田信長に転じましたが、天正10年に本能寺の変で信長が死去すると、上杉景勝が越中国に侵攻し守勢に立たされています。秋貞は上杉方の村田大炊介に攻められ敗北、飛騨国に落ち延びています。

天正11年に上杉方に転じた斎藤信利と交戦に至りましたが、上杉勢の援軍により撤退し、猪谷を移動中に何者かに射殺されています。その後、織田勢が城生城を落とすと、岩木城の重要性が失われ廃城となっています。

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