井口城

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井口城:略データ
・場 所・富山県南砺市池尻
・築城年・−
・築城者・伝:井口氏
・城 主・今村小太郎
・構 造・平城
・文化財・南砺市指定史跡
・指定日・平成4年1月10日
・概 要・井口城が何時頃に築城されたのかは不詳ですが、中世当地を支配した井口氏が居城として利用していたと推定されています。

井口氏の出自は諸説有り、藤原利仁の3男である藤原光義が祖とも、越中国司利波臣の後裔とも云われています。伝承によると延喜年間に藤原(出口)光義が築いたとも伝えられており、発掘調査では平安時代末期から戦国時代にかけての遺物が発見されています。

井口氏は鎌倉時代後期には当地を治める土豪として知られるようになり、建武2年に発生した中先代の乱では、新政府に反旗を翻した北条時行に呼応した名越時兼に従い北陸地方の土豪達と共に蜂起しています。一端は鎮圧されたものの、今度は越中守護である井上俊清に従い、越中国司中院定清が逃げ込んだ石動山攻めに従軍し勝利に貢献しています。

南北朝時代には南朝方に与した越中国守護職の桃井直常に従い各地に従軍しましたが、康安2年に北朝方の富樫氏との戦いに敗れ井口城まで撤退しています。

応安2年に富樫氏との再選にも敗れ、さらに北朝方で能登国守護の吉見氏からも攻められ、井口城は落城したと思われます。その後、文明年間頃には今村氏が居城として利用していましたが、今村小太郎が城主の時に落城しています。

戦国時代末期には越中一向一揆衆の拠点として利用されたものの、天正9年に富山城の城主佐々成政に襲撃され落城したとされます。

井口城は東西135m、南北99nの平城で、西側は天然の川を堀と見立て、東側には出丸(二之郭)が設けられその部分が二重の堀になっていました。現在は圃場整備により多くのの遺構が失われ、主郭跡の一角に石碑と案内板に設けられています。

又、圃場整備した際に井口城と関係が深いと思われる石塔が大量に発見されており、「池尻中世石塔群」として南砺市指定文化財に指定されています。井口城の城跡は貴重な事から南砺市指定史跡に指定されています。

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