廿日石(五箇山相倉集落)

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概要・歴史・観光・見所
廿日石(富山県南砺市)概要: 廿日石(岩)は富山県南砺市の五箇山にある相倉集落の鎮守地主神社境内前にある2m程の巨石で、例え大雪が降ったとしても4月3日前後に雪から岩肌が見えると20(廿)日後に積もっていた雪が全て消えると云われています。情報が少なかった当時はこの様な現象を見比べながら農作物の作業工程を決めていたと思われます。

【五箇山】−赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つ谷が存在している事から古くから「五箇谷間」と呼ばれ、それが転じて「五箇山」や「五箇荘」と呼ばれるようになりました。源平合戦の1つ「倶利伽羅峠」の戦いで木曽義仲(源義仲)に敗れた平家一族又は家臣が隠れ住んだとの伝承が残され、「平家の隠れ里」の1つと云われています。南北朝時代は南朝に属し、後醍醐天皇第8皇子で天台座主宗良親王が五箇山に隠れ住んだとも、宗良親王が仏教を伝承したとも云われています。戦国時代に入ると浄土真宗が盛んになり拠点の1つにもなり、生産された煙硝は火薬の原料となり全国に頻発した一向一揆を陰から支えました。江戸時代に入ると加賀藩に属し、軍事的な機密である煙硝の生産や、罪人の流刑場となっています。

【相倉集落】−相倉集落は五箇山にある集落の1つで、現在でも茅葺の合掌造りの古民家が数多く存在している稀有な存在である事から同じく五箇山の菅沼集落と共に名称「越中五箇山相倉集落」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、近年、ユネスコにより世界遺産に登録されています。現在は観光地としても知られ「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」にて3つ星中の2つ星を獲得しています。

【地主神社】地主神社は相倉集落の鎮守で、当初は神仏習合し薬師如来が祀られていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、村社に列しています。


廿日石
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