赤丸浅井神社(高岡市福岡町)概要: 浅井神社は富山県高岡市福岡町赤丸に鎮座している神社です。赤丸浅井神社の創建は不詳ですが孝霊天皇の御代(紀元前290年〜紀元前215年)に八河江比賣神の分霊が勧請されたのが始まりとされます(文武天皇の第2皇子石川朝臣広成によって創建したとも)。
養老元年(717)、行基菩薩(奈良時代の高僧)が別当寺院として毘沙門天を本尊(浅井神社から見ると本地仏)とする川人山鞍馬寺を開き、最盛期には48坊を擁する大寺として大きな影響力がありました(泰澄大師が草庵を結び、それが鞍馬寺になったとも)。
延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳で式内社として記載される浅井神社の論社で(近隣にある石堤にも浅井神社を号する神社が鎮座しています)越中34座、砺波郡7座の1座とされています。境内の前は加賀国府と伏木の越中国府とを結ぶ古代の官道が通り、江戸時代の宿場町にあたる「川人(川合)駅」が設置され、当社はその鎮守社として庇護され五位庄五十三ヶ村の惣社の格式を得たと思われます(江戸時代には57ヶ村)。その為、江戸時代前期まで「川人明神」の別称があり神官(明治以前は社僧)は代々川人家が世襲して祭祀を司っています。
南北朝時代に宗良親王(後醍醐天皇の皇子)が赤丸城に入ると浅井神社を崇敬し境内に末社7社を勧請、別当寺院である川人山鞍馬寺は五位庄から各戸玄米一升づつを取り纏め親王に献上していたそうです。古くから神仏習合し別当寺院として川人山鞍馬寺西宝院が担ってい「川人権現」や「三社権現」などと称していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後い吹き荒れた廃仏毀釈運動によって廃されています。
その際、古文書は焼かれ、本地仏は破却、境内に建立していた石仏も首が切られたそうで、祭神として新たに高皇産霊神(天地開闢時に高天原に降臨した神)が祀られ郷社に列しています。祭神:八河江比賣神、高皇産靈神。配祀:天照大御神、誉田別命、伊弉諾命、菅原道眞、健御名方命、金山彦命、金山媛命、大山咋命、木花咲夜比賣命、白山媛命。
200m程続く参道の両脇には江戸時代に整備されたとう樹齢400年から200年の杉並木が続き昭和45年(1970)に高岡市指定天然記念物に指定されています。境内には巨木も多く推定樹齢1200年以上の大けやきは、幹周9.3m、樹高20mを誇り昭和40年(1965)に富山県指定天然記念物に、推定樹齢1000年、幹周6.4mのけやきは昭和45年(1970)に高岡市指定天然記念物に指定されています。
赤丸浅井神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 由緒碑(浅井神社と川人家)-浅井神社氏子総代会
・ 現地案内板(大けやき跡)-高岡市教育委員会
・ 現地案内板(杉並木)-高岡市教育委員会
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