富山市寺町: 白鳥神社

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概要・歴史・観光・見所

白鳥神社(富山市寺町)概要: 白鳥神社の創建は不詳ですが古くから日本武尊の分霊を祀っている古社で、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社の論社です。

詳細は判りませんが、当地には白い鷹が生息し、その鷹を住民は神の遣いとして信仰の対象にしたようで、奈良時代に編纂された「古事記」と「日本書紀」に日本武尊が死去した際、白鳥に姿を変え飛び去ったとの神話から、当社でも日本武尊が祭られるようになったと推察されます(仲哀天皇は父親である日本武尊の御霊を慰める為に全国から白鳥を献上させ、その中で越国から献上された4羽は当地区で捕獲した白鳥とする説があります)。

当初は現在の城山の山頂付近に鎮座し、社号から白鳥峯と呼ばれたようで、その後、現在に遷座したと思われます。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経ては村社に列しています。

延喜式内社の論社である白鳥神社の拝殿
延喜式内社の論社である白鳥神社の拝殿

案内板によると「 白鳥神社の祭神は日本武尊で社の名を昔からこの地に生息していた白い鷹を神の使いとして敬つていたことから白鳥神社と称されて来ました。また呉羽山丘陵の最高峰の麓にこの神社があったことから社の名に肖って山頂の城を白鳥城と呼称されています。白鳥神社の歴史と共に歩んで来たのは社の後方南側の古川であります。旧神通川の廃川で大正末期(1920年)頃までは暴れ河で現在は改修後の神通川に合流しています。寺町の由来は記述によると応仁2年(1294年)頃に臨済宗本山東福寺(京都)の竺山禅師がこの地に滞まり通称「万松山崇聖寺」を創建して約300年(1600年頃)栄えていてその門前集落を寺町と称することになったと伝えられています。」とあります。

白鳥神社拝殿は木造平屋建て、切妻、銅板葺き、平入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り素木板張り。本殿は一間社流造、銅板葺き。祭神:日本武尊。

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白鳥神社:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 由来碑-白鳥神社


白鳥神社:ストリートビュー

白鳥神社:写真

白鳥神社
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