魚津城

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魚津城
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魚津城・歴史・観光・見所
魚津城概要: 魚津城は建武2年(1335)、南朝の武将椎名孫八(新川郡守護代)が松倉城の支城のひとつとして築城したのが始まりと伝えられています。永正2年(1504)、長尾為景(上杉謙信の父)が越中に侵攻し当時の城主鈴木国重は敗退し、その後城主になった板倉政広も弘治元年(1555)に上杉謙信によって攻略されました。魚津城は交通の要衝にあった為、上杉家の越中侵攻の軍事的重要拠点として整備拡張され城主には河田長親など重臣が勤めました。上杉謙信が死去すると、家督争いなどで上杉家が一時衰退し間隙をついて織田勢である柴田勝家、佐々成政ら北陸遠征軍が越中に侵攻、天正10年(1582)には魚津城を包囲しました。家督を継いだ上杉景勝が救援に向かい天神山城に入りますが、織田勢は3正面作戦を展開しており信濃口から森長可、上野からは滝川一益が越後領内に進軍、景勝は戦線を縮小させ春日山城周辺に戦力を集中させる為、一時退却を余儀なくされます。援軍を失った魚津城は城兵が尽く自刃するなど壮絶を極め6月3日に落城、しかし6月2日に本能寺の変がありすでに織田信長が死去してこともあり織田陸遠征軍は急遽自領に引き上げ上杉家家臣須田満親が魚津城を再奪取しています。織田家内では内紛が起こり佐々成政が独立、天正13年(1585)には越中を掌握し魚津城も支配下に置きます。しかし、成政も豊臣秀吉の越中侵攻により伏し、魚津城は家臣となった前田利家の嫡男前田利長が支配し城代には青山佐渡守吉次がその任にあたりました。元和元年(1615年)の一国一城令によって廃城となりましたが交通の要衝で軍事、行政の拠点としての重要性があったことから、1部土塁や堀が残され郡代所や奉行所、米蔵や武器庫を設けられました。現在は大町小学校と裁判所を中心にほとんどが市街地になり目立った遺構は残されていません。
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