富山市: 浮田家住宅

  富山県:歴史・観光・見所富山市:観光・観光・見所>浮田家住宅(読み方:うきたけじゅうたく)

概要・歴史・観光・見所

浮田家住宅(富山市)概要: 浮田家住宅は富山県富山市太田南町に位置している古民家です。浮田家は古くからこの地に土着した豪農として知られ、江戸時代には立山、黒部の藩境の警備や山林の保護などを行う奥山廻役を歴任し、農民でありながら500石の格式を許され、代官職を兼ねるようになると3000石の格式となりました。

一説には前田利家の四女で、豊臣秀吉の養子となり、宇喜多秀家の正室となった豪姫が、関ヶ原合戦で西軍方に与した秀家が八丈島に流罪となった後、実家である金沢に戻った際、三男を当家に養子として預け、「宇喜多」姓では都合が悪い事から「浮田」と改姓したとの説があります。

その他にも宇喜多秀家の隠し子説や、豪姫が当家に預けられた際に設けた子供説等があり、八丈島の秀家の子孫達に当家が支援していたとも云われています。

現在の浮田家住宅主屋は文政11年(1828)に建てられたもので木造平屋建(一部2階)、寄棟、茅葺、桁行21.2m、梁間20.6m、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、腰壁は縦板張り。

歴史が感じられる浮田家住宅の屋敷
歴史が感じられる浮田家住宅の屋敷の画像

内部は向って右端だけが土間で残りは「板の間」、「台所(囲炉裏付)」、「茶の間(囲炉裏付)」、「ひろま(畳敷24帖)」、「対面の間(畳敷8帖)」、「控座敷(畳敷8帖)」、「本座敷(畳敷8帖・床の間付)」、「二の座敷(畳敷8帖)」、「仏間(畳敷6帖)」、「鞘の間(畳敷4帖)」などの部屋が配され式台付の玄関や座敷の意匠など格式の高い造りが見られます。

浮田家住宅表門は江戸時代後期の天保年間(1830〜1843年)に建てられたもので寄棟、茅葺、桁行15.1m、梁間3.5m、外壁は真壁造、土壁鏝押え、腰壁は下見板張り縦押縁押え、長屋門形式。

浮田家住宅土蔵(衣装蔵:以前は3棟が軒を連ねていたそうです。)は明治23年(1890)に建てられたもので、土蔵2階建、切妻、桟瓦葺き、白漆喰仕上げ、1階外壁外側は下見板張り、縦押縁押えの保護壁付。

当時は主屋と同規模の建物が屋敷内に並列し加賀藩の役宅としての機能を持っていて、敷地の周囲は堀と木板塀が廻り、主屋の左手には庭園が配されました。

浮田家住宅は江戸時代中期に建てられた豪農建築の遺構として貴重な存在で昭和54年(1979)に宅地、主屋、表門、土蔵が貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

浮田家住宅:上空画像

長屋門を簡単に説明した動画

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-富山県教育委員会・富山市教育委員会


浮田家住宅:ストリートビュー

浮田家住宅:写真

浮田家住宅の表門(長屋門)の画像
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