富山市: 光厳寺

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概要・歴史・観光・見所

光厳寺(富山市)概要: 春日山光厳寺は富山県富山市五番町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。光厳寺の創建は長禄2年(1458)、天叟祖寅(近江:滋賀県新豊寺の僧)が開いたのが始まりと伝えられています。

当初は増田城の城下に創建されましたが後に守山城下に移り、城主である神保氏の菩提寺となり社運が隆盛し最盛期には寺領1100石、末寺18ヶ寺を擁しました。郷雲和尚の代、上杉謙信の越中侵攻の兵火により多くの堂宇が焼失し僧侶達も四散した為衰退しますが前田利長(前田利家の嫡男、後の加賀藩初代藩主)が守山城主になると再興されます。

慶長10年(1605)、利長が家督を2代前田利常に譲渡し隠居城として富山城を築くと富山城下に移され、寛永16年(1639)に富山藩10万石が立藩すると初代藩主前田利次(前田利常の次男)によって富山前田家の菩提寺に指定されました(2代藩主前田正甫は日蓮宗を信仰していた為、大法寺も菩提寺となり、3代以降は1代毎に菩提寺が交代しています)。

歴史を紡いできた光厳寺の境内
歴史を紡いできた光厳寺の境内の画像

以来、富山前田家の菩提寺として寺領の寄進など庇護し寺運が隆盛、寛文3年(1663)には城下の南東隅の寺町に移り壮大な堂宇が造営されました。戦前までは境内も広く多くの堂宇が建ち並ぶ大寺でしたが昭和20年(1945)、第2次世界大戦の空襲に被災し境内が炎上、多くの建物や記録、寺宝が焼失し、その後の都市計画により境内が大幅に縮小しました。

境内には昭和28年(1953)に再建された鉄筋コンクリート造の本堂や昭和11年(1936)に造営された鉄筋コンクリート造の三重塔の他、富山藩の著名な学者「南部三代(草寿・景衡・景春)の墓」があり、寺宝として「円空仏3躯」、「細井廣沢著『龍』『虎』」の大幅の掛軸一対」を所有しています。宗派:曹洞宗。本尊:華厳釈迦如来。

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光厳寺:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-富山市


光厳寺:ストリートビュー

光厳寺:写真

光厳寺
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