富山市: 宝寿院

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概要・歴史・観光・見所

宝寿院(富山市)概要: 金城山宝寿院は富山県富山市文珠寺に境内を構えている高野山真言宗の寺院です。宝寿院の創建は承久2年(1220)に建部(武部)良瞬が開いたのが始まりと伝えられています。往時は50余の坊舎が境内、参道に設けらていましたが、室町時代の応仁の乱の兵火により大きな被害を受けています。

その後、立山寺(現在の雄山神社)明舜法印によって再興されたものの、戦国時代に上杉謙信(春日山城の城主、越後国守護職、関東管領)の越中侵攻の兵火により再び焼失しました。安土桃山末期、宗信大徳が再興を果たし元禄14年(1701)に現在地に境内を移して堂宇が随時整備されています。

明治時代初頭に神仏分離令が発令されるまで隣接する武部神社が鎮守社で当時から神仏混合の形態を保っていました。

歴史を紡いできた宝寿院の本堂
歴史を紡いできた宝寿院の本堂

正面の山門は享保7年(1722)に薬医門形式で建てられたものを天保4年(1833)に屋根部を取り外し楼門として改修したもので、入母屋、銅板葺き、三間一戸、木部朱塗り、上層部花頭窓、高欄付、下層部と上層部の構造が異なる特異の形式、江戸時代後期の楼門建築の遺構として貴重な事から昭和57年(1982)に富山市指定文化財に指定されています。

寺宝が多く、三千仏図(富山県指定文化財)は室町時代に制作されたもので縦149cm、横121cm、絹地、極彩色、元々は福円寺が所有していましたが明治3年(1870)に廃寺になった際に宝寿院に遷されています。

鰐口(富山市指定文化財)は明徳元年(1390)に制作されたもので、宝寿院から五社宮に遷され、明治時代の神仏分離令により再び宝寿院に遷されたと推定されています。薬研彫棟札(富山県指定)は宝寿院の山門から発見されたもので長さ108cm、幅13cm、厚さ4cm、1220年と1467年の2枚があり宝寿院の大凡の由来が記載されています。

山号:金城山。宗派:高野山真言宗。本尊:大日如来。

宝寿院:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-富山市教育委員会


宝寿院:ストリートビュー

宝寿院:写真

宝寿院
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