戸出町(高岡市)概要: 戸出は古くから千保川舟運と上使街道(今石動〜戸出〜中田〜富山)が交差する交通の要衝として重要視されてきた地域で、江戸時代初期の元和3年(1617)に川合又右衛門によって本格的な開発、町割りが行われました。
当初、上使街道が北陸地方においての大動脈であったことから六斎市が開かれるなど経済的にも大きな発展が見られましたが、高岡城の城下町(一国一城令後に高岡城が廃城になった後は代官所)に北陸道の経路が変更されると次第に重要性が失われました。しかし、交通の要衝としては変わらず戸出御蔵や加賀藩の御旅屋(本陣)が設けられるなど周辺の物資の集積地や宿場町として地位を固めました。
鎮守である戸出野神社は平安時代に創建され木曽義仲が戦勝祈願したと伝わる古社で、元禄3年(1697)から行われているとされる「幌武者祭り」は武者に扮する子供達や、法被を着こんだ住民達が戸出町を練り歩きます。永安寺は寛永20年(1643)に戸出町周辺の十村役で本陣を努めた川合家が菩提寺として当地に移した寺院で、境内には御旅屋門が移築され、戸出町出身の俳人尾崎康工が建立した甍塚(芭蕉句碑)があります。
戸出町:上空画像
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