富山城: 金岡邸

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富山城・金岡邸
【 富山城 】富山城は戦国時代の天文12年(1543)頃に、当時の越中(西部)守護代神保長職が家臣である水越勝重に命じて築城された城郭です(発掘調査上は室町時代初期)。その後は上杉家の信仰と一向一揆の台頭により度々城主が交替し、天正10年(1582)頃に織田信長の家臣佐々成政が城主となります。成政は富山城を大改修しましたが信長が本能寺の変で自刃すると、その後台頭した羽柴秀吉と対立関係となり天正13年(1585)に秀吉による富山攻めにより降伏し富山城は一時廃城になったようです。江戸時代初期に加賀藩初代藩主前田利長が藩主を退くと、富山城は隠居城として改修され一時入城するものの、火災により焼失し、新たに高岡城を築いて富山城を去っています。寛永16年(1639)に加賀藩2代藩主前田利常の次男前田利次が加賀藩から10万石が分知され富山藩を立藩、富山城には藩庁、藩主居館が置かれ大規模に修復されました。昭和に建設された模擬天守閣(複合連結式望楼型3重4階)は国登録有形文化財に登録されています。続日本100名城。

【 金岡邸 】金岡邸富山県富山市新庄町に位置する町屋建築で、主屋は明治12年(1879)に建てられました。金岡家は江戸末期頃から薬種商を生業とし、明治時代には一族から政治家を輩出し、電気事業や公共事業、文化事業にも尽力し富山の発展に大きく寄与しました。金岡邸は明治時代初期の薬種商を取り扱う町屋建築の特徴を残しており、現在は富山売薬業に関する資料などが展示され一般公開されています。国登録有形文化財。

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