富山県: 瑞泉寺

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概要・歴史・観光・見どころ

瑞泉寺(井波別院)概要: 杉谷山瑞泉寺は富山県南砺市井波に境内を構えている真宗大谷派の寺院です。瑞泉寺の創建は、南北朝時代の永和年間(1375〜1379年)綽如上人(本願寺5世)が巡錫で当地を訪れた際、霊地と悟り草庵を設けたのが始まりとされます。

当時、明(中国)から送られた国書を解読する為に朝廷は難儀していたところ、綽如に白羽の矢が立ちました。綽如は解読に尽力すると、その功績により後小松天皇から「周圓上人」の号と聖徳太子南無佛木像、聖徳太子絵伝(8巻)を賜り、さらに寺院昇格の願いをかなえました。

明徳元年(1390)、綽如は早速「勧進状」を作成し近隣諸国に浄財を募ると堂宇の造営や境内の整備が行われ、さらに「瑞泉寺」の勅号を賜ると、後小松天皇の勅願所として寺運も隆盛しました。綽如上人は瑞泉寺を拠点に浄土真宗の布教活動を行い、その後も2世如乗(巧如上人の子)、3世蓮乗(蓮如上人2男)と積極的に活動した結果、北陸地方で数多くの浄土真宗の信者を獲得に成功しました。

その後は北陸地方の一向宗の中心として加賀、越中、能登の一向宗寺院370余寺に号令出来る格式を得えると越中の一向一揆の一大拠点となり文明13年(1481)には領主である越中福光城主石黒光義と天台宗の惣海寺の連合軍1千6百を打ち破ぶり砺波地方一帯が瑞泉寺の影響下に入り半自治体制が確立します(田屋川原の戦い)。

歴史が感じられる瑞泉寺の境内
歴史が感じられる瑞泉寺の境内

文明16年(1484)には瑞泉寺の境内を城塞(井波城)として大改修し周囲には堀や土塁を築かれ、安永3年(1506)には越後守護代長尾能景の侵攻を阻み、永禄年間(1558〜1569年)には6世証心一向宗徒を引き連れ上杉謙信とも戦っています。

謙信が死去すると織田信長の越中侵攻が行われ天正9年(1581)には信長の家臣佐々成政が侵攻しその兵火により境内はじめ門前町も悉く焼き払われ、住職はじめ多くの信徒達は五箇山など方々に四散し逃れたとされます。

その後、城端北野に移りましたが、豊臣秀吉の越中侵攻により佐々成政が没落すると、現在地堂宇が再建され天正13年(1585)に秀吉は「禁制」を発布しています。

天正19年(1591)に領主となった前田家から許可を得て北野から井波への屋敷替えを懇願し、慶長元年(1596)に竹部屋敷跡に仮本堂を造営、慶長18年(1613)に境内地を拝領し、寛永19年(1642)にようやく本堂の再建が行われ万治3年(1660)に竣工に至り、江戸時代には越中における浄土真宗の触頭となりました。山号:杉谷山。宗派:真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来。

富山県の寺院建築を代表するような瑞泉寺の本堂
富山県の寺院建築を代表するような瑞泉寺の本堂

【 瑞泉寺の建築と彫刻 】−現在の瑞泉寺山門は宝暦12年(1762)の火災後に再建されたもので文化6年(1806)に上棟しました。三間一戸、入母屋、瓦葺き、間口20.3m、奥行15.5m、高さ17m、総ケヤキ造り、八脚二重門で上層部には高欄を回し、細部には京都の前川三四郎や井波の彫刻師が彫り上げた繊細な彫刻が施されています。

当初は京都出身の大工により工事が進められましたが京都本願寺でも工事が始まった為、その後は井波出身の大工が引き継ぎ竣工、昭和40年(1965)に富山県指定有形文化財に指定されています。

瑞泉寺式台門は寛政4年(1792)に建てられたもので、門には菊の紋章が掲げられ勅使など格式の高い人達が利用する時だけ通ることが出来ました。棟梁は井波出身の柴田清右衛門、彫刻は北村七左衛門(番匠屋9代)があたり井波建築の原点とも言える建物で昭和30年(1955)に南砺市指定有形文化財に指定されています。

現在の瑞泉寺本堂は明治18年(1885)に再建されたもので、入母屋、銅板葺、平入、桁行25間(46m)、梁間23間半(43m)、面積590坪(1950u)、北陸地方の真宗寺院の中でも最大級の木造建築物で、棟梁は井波出身の松井角平恒広、向拝などには井波彫刻が随所に施されています。

瑞泉寺太子堂は大正7年(1918)に造営されたもので、重層入母屋造、本瓦葺、平入、桁行16間、梁間16間、正面3間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り、内部には後小松天皇から賜った聖徳太子2歳像が安置されています。瑞泉寺太子堂は大正時代の井波建築の粋を集めた御堂建築の遺構として貴重な事から南砺市指定文化財に指定されています。

瑞泉寺:上空画像

【 瑞泉寺の文化財 】−瑞泉寺には寺宝も多く綽如上人の勧進状(室町時代中期、綽如上人の自筆、瑞泉寺建立の発願について)と後花園天皇宸翰消息(永享6年:1434年頃、後花園天皇が父の貞成親王に宛てたもの)が国指定重要文化財に指定されています。

絹本著色聖徳太子絵伝(8幅:聖徳太子絵伝の絵解き)が国重要美術品に選定されています。

本尊木造阿弥陀如来立像(平安時代後期作、ヒノキ材、寄木造)が富山県指定重要文化財に指定されています。

太鼓堂(天保13年:1842年建築、司晨楼、入母屋、上層部は鉄板葺、下層部が桟瓦葺、桁行5.1m、梁間4.6m)、浪化上人司晨楼之記(元禄7年:1695年、瑞泉寺11代浪化上人自筆)、羽柴秀吉禁制朱印状(天正13年:1585年、瑞泉寺宛の禁制で境内での放火や狼藉を禁止する内容)、親鸞絵像・裏書(文明元年:1469年)が南砺市指定文化財に指定されています。

瑞泉寺:周辺駐車場マップ

唐門を簡単に説明した動画

八脚門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-富山県・南砺市教育委員会
・ 現地案内板-南砺市教育委員会


瑞泉寺:ストリートビュー

瑞泉寺:写真

瑞泉寺境内正面に設けられた山門(二重楼門)
[ 付近地図: 富山県南砺市井波町 ]・[ 南砺市井波町:歴史 ]
瑞泉寺山門(二重楼門)のアップ 瑞泉寺勅使門と土塀 瑞泉寺境内から見た本堂正面 瑞泉寺境内に建立されている太子堂


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