田村家住宅(黒部市生地)概要: 田村家の祖である田村善名是輝は朝倉義景(越前守護職、朝倉家11代当主)の家臣だった人物で天正元年(1573)に織田信長による越前侵攻により一乗谷城(福井県福井市)が落城、義景が自刃し朝倉家が滅亡すると生地の地に落ち延び土着しました。
隣接する前名寺天満宮は田村善名是輝が田村家の菩提寺として創建した寺院で、守護神である天神様は菅原道真が太宰府(福岡県太宰府市)に流された際に嫡男が描き道真が手を加えたとされ、尊像は当初、足利尊氏が所有していたものが朝倉家、田村家に渡ったものと伝えられています。
当初は開基者である善名是輝の名前に因み善名寺と称していましたが、前田家が参拝に訪れた際に前田家の「前」の字を賜り寺号を前名寺に改めています(前田家の氏神は菅原道真とし天神信仰を篤く帰依していた事から参拝に訪れたのかも知れません)。江戸時代に入ると加賀藩前田家から浦方十村(富山湾東部海岸の漁業・海運を統括する役職)1千3百石を命じられ代々を浦方十村務め、生地でも大きな影響力を持ちました。
明治時代の当主田村惟昌は衆議院議員や生地町長などを歴任し明治から大正時代にかけても生地の発展開発に尽力しています。現在の建物は明治3年(1870)に建てられたもので2階に屋根の上には3階にあたる物見台が設えられ当時の洋風建築の要素を取り入れています。庭園は格式のあるもので、池からは田村清水が湧出ています。
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