手向神社(倶利伽羅峠)概要: 手向神社は倶利伽羅峠(越中国と加賀国の国境、北国街道沿いにある峠)に鎮座しています。案内板によると「 本殿は慶長19年(1614)、加賀藩3代藩主前田利常が、兄利長の病気平癒を祈願して、寄進した長楽寺不動堂で、のち護摩堂になっていたものである。9尺(約273cm)4方の石堂神殿は、越前笏谷石製の建築物で、柱、屋根、棟など重厚な栫えとなっており、彫刻も入念に造作されている。 津幡町教育委員会 」とあります。
当時、この建物は長楽寺の鎮守社でしたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され長楽寺も廃寺となった為、素戔嗚社となり、さらに昭和24年(1949)に長楽寺を復興した不動寺が開山したことで素戔嗚社が手向神社に社号を改めています。手向神社石堂神殿は長楽寺の歴史的背景や江戸時代初期に建てられた石造建築の遺構として貴重な事から平成10年(1998)に津幡町指定有形文化財に指定されています。
手向神社:上空画像
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