倶利伽羅峠の戦場跡(小矢部市)概要: 平安時代末期の寿永2年(1183)、木曽義仲(木曽源氏棟梁、源頼朝の従兄弟)を中心とする源氏軍3万(5千とも)と平維盛を中心とする平家軍7万(4万とも)とが倶利伽羅峠(越中国と加賀国の国境、北国街道沿いにある峠)で対峙しました。義仲の家臣樋口兼光は深夜、夜陰にまぎれ平家軍に夜襲をかけたところ、平家軍は大混乱に陥り、さらに後詰に入った樋口兼光により退路を断たれ、多くの兵が倶利伽羅峠の断崖から転落死したと伝えられています。平家軍はこの倶利伽羅峠の戦いで大半を失い京都まで撤退し大きく戦局が源氏に傾いたと言えます。この戦いでは"火牛の計"と呼ばれる100頭の牛の角に松明をくくりつけ平家軍に突入させたと言われています。
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