射水市(歴史)概要: 射水市の旧新湊市街地は"奈呉の浦"と呼ばれ古くから中央にも知られる存在で万葉集にも度々名を連ねる景勝地でした。越中国守となった大伴家持も奈呉の浦の風景に深く感銘したとされ奈呉八幡宮(後の放生津八幡宮)を勧請しています。
中世に入ると越中守護となった名越時有が放生津城を築き越中守護所が設けたことで中心地として発展しましたが名越氏は元弘3年(1333)南朝方に攻められ滅亡してしまいます。
その後、守護代となった神保氏が支配し、明応2年(1493)には室町幕府10代将軍足利義材が下向するなど再び脚光を浴びます。戦国時代後期に領主となった佐々成政が豊臣秀吉に敗れると前田家の所領となり江戸時代も加賀藩の藩領となります。
奈呉の浦は庄川河口に位置していた為、舟運の拠点となると同時に北前船の寄港地として経済的にも発展しました。又、漁業の町として名を馳せ市内には西宮神社や漁民義人塚など漁業や廻船業に縁のある史跡が点在しています。
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