射水市: 漁民義人塚

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概要・歴史・観光・見所
漁民義人塚(射水市)概要: 江戸時代中期の享保2年(1717)、放生津魚問屋が長年不当搾取を続けた事で漁民達が一斉蜂起し所謂「バンドリ一揆」が発生、約400人の漁民は「バンドリ姿(蓑を被った姿)」で加賀藩の藩庁である金沢城(石川県金沢市)にある御公事場奉行所に直訴しました。奉行所はこれを聞き入れ改善策(放生津漁場の開設)を講じましたが、蜂起した事は罪となった為、漁民の代表者である佐賀野屋九右ェ門と嵐屋四郎兵ェの両名は死罪となり享保3年(1718)2月6日にこの地で斬首されました。漁民達は窮地を救った両名を「世直し義人」として神格化し塚を築き厚く弔ったと言われています。漁民義人塚は漁村に残る歴史や文化的の価値が高い遺構として貴重な事から平成18年(2006)に水産庁による「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」に選定されています。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-射水市
・ 現地案内板-新湊市観光協会

漁民義人塚:写真

漁民義人塚
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