境町並み(朝日町)概要: 境宿は北国街道(北陸道)の宿場町で越中国(現在の富山県)と越後国(現在の新潟県)の国境付近にあった為、加賀藩(藩庁:金沢城)から重視されました。江戸時代前期までは山側に宮崎城が築城されていた事からも城下町的な存在で、慶長19年(1614)に宮崎城が廃城なり、境関所が設けられると、それに伴い宿場町として新たな町割りが行われてと思われます。
宿場内には堺関所が設けられ内部には藩主の宿泊施設である「御旅所」や関所役人の役宅である「御貸家」、塩蔵、土蔵、牢などが建てられました。関所には60人に及ぶ人員が配置され鉄砲70、弓30、槍70、具足60が備えられ、箱根の関所(神奈川県足柄下郡箱根町箱根1番地:東海道に設けられた関所で日本四大関所に数えられた。)を上回る規模を擁し日本一厳しい関所と言われました。
又、宿場内には刑場や一里塚といった施設や護国寺や境神社といった神社仏閣も配置されました。現在境宿の町並みは古い建物は少なくなりましたが、北陸道沿いによく見かける、切妻、妻入りの町屋風の建物が軒を連ね静かな風情を漂わせています。
朝日町境:上空画像
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